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玄性寺1 須峯山瑠璃光院玄性寺という曹洞宗のお寺。 伝承によれば、3代那須資之が那須与一の分骨を受けて建立したのが始まり。 那須氏の菩提寺で、与一をはじめとした那須一族の供養塔がある。 また境内には与一が的を射抜いたとき裂け目が出来たという矢剪石が残る。 |
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玄性寺2(稲積稲荷神社) 玄性寺境内の那須与一の墓の南隣に鎮座する。 那須与一公が屋島の戦に扇の的を射落とせし時、 稲荷明神が白狐と化し守護せる霊験ある稲荷。 主催神は倉稲魂命を祀る。 |
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金剛寿院 宝持山金剛寿院伝法寺という真言宗智山派のお寺。 創建年代は不詳ですが奈良時代末期に開山したと伝えられている。 福原八幡宮とともに神仏混淆の霊場として信仰された。 最盛期には125ヶ寺の末寺を抱える大本寺として隆盛を極めた。 |
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福原八幡宮1 創建は天喜5年(1057)、源義家が前九年合戦の折付近に陣を構え、 戦勝を祈願し、石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まり。 中世に入り、那須氏の崇敬社となり、庇護された。 江戸期には少し衰退したが、明治期の神仏分離令で神社として独立した。 |
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福原八幡宮2 現在の本殿の建築年代は不詳ですが、貞享2年(1685)に修復し、 寛政2年(1798)に修築された建築で市の文化財になっている。 本殿の彫刻や蟇股などは精緻に彫られ彩色され美しい。 那須家の崇敬社として、誉田別命を祀る。 |
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実相院1 月江山実相院慈雲寺という曹洞宗のお寺。 那須三十三観音18番札所で、施無畏観音を祀る。 創建は永享年間(1390〜1440)に福原の娘が実相庵という尼寺を開いたのが始まり。 永禄11年(1568)に福原家累代の菩提寺になった。 |
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実相院2 その後、福原氏らが庇護し、寺領や堂宇の造営などを行った。 境内には福原家累代の墓所が残る。 また、実相院の山門は正徳年間(1711〜16)建立されたもので、 和唐折衷の四脚門で屋根には矢板市平野産の石を用いている。(市の文化財) |
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正浄寺 川越山無量寿院正浄寺という浄土真宗本願寺派のお寺。 建保2年(1214)、宗祖親鸞聖人が東北巡錫の折、佐久山宿箒川の川端の孫八の宅に一宿した。 その際、孫八に阿弥陀如来の尊像を授与され、その尊像を安置したのが始まり。 後に、如信上人や蓮如上人が巡錫された・・・ |
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長泉寺 沼瀧山密蔵院長泉寺という真言宗智山派のお寺。 明応4年(1495)、南朝の落人、嶋田越後守藤原忠経の菩提を弔うため大島民部が開基した。 本尊は藤原忠経の事念仏・阿弥陀如来。 那須三十三観音17馬札所で、八溝七福神の福禄寿を祀る。 |
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滝沢神社 高原山のふもとから流れる箒川沿いに不動の滝がある。 その昔、滝近くに石に彫られた不動明王があり、堂を建立して祀った。 主祭神は日本武尊、大山祇命、岡象女命を祀る。 本殿は元禄12年(1699)の棟札があり、市の文化財になっている。 |
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不退寺 蓮台山不退寺という時宗のお寺。 那須光資家臣の奥野近重が念仏修行のため、、 弘安3年(1280)、一遍上人が滞在し、近重に六字名号を与え、前室道場として開かれた。 境内には八溝七福神の毘沙門天を祀る。 |
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栃木県歴史散歩 | |||||||||||||||||
1.大田原1 2.大田原2 3.大田原3 4.大田原4 5. | |||||||||||||||||
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